日鳳大学生パロ2話目。自覚ありの日吉と無自覚な鳳の身動きの取れない両片思い。
※直接的な表現はありませんが、攻めの夢精を思わせる描写があります。
久しぶりに夢を見た。鳳が出てくる夢だった。
ぼんやりとした光景が俺の頭をさまよう。同じ校舎に通っていたころよりも大人びた鳳が隣に座っている。俺は衝動に任せて鳳を押し倒す。顔を近づけて、口づけをする。ぽってりとした唇に噛みつくように触れ、離してはまた触れる。そのたびに、ちゅくり、と舌が交わる音がいやらしく部屋に響く。唇を離すと、甘い吐息が鳳の口からもれる。口からは混ざり合った唾液がつぅ、と色気をまとって垂れた。鳳の瞳は今にも涙があふれそうなほど濡れている。俺をとらえる視線は恐怖に色づいていた。ほほが赤く染まっているのは、恥じらいではなく困惑の意味であろう。最後に鳳は俺をやんわりと手で押し返した。拒絶のしるしだ。そこで夢は終わった。嫌な夢だ。
中等部の頃に同じような、鳳を組み敷く夢を何度か見たことがあった。そんな時の寝起きはいつも最悪だった。汗と白濁が混じり合って気持ち悪いし、奥底から薄汚れた感情が込み上げてくるから。鳳が好きだという気持ち。友人としてだけではなく、恋愛感情としても。鳳が欲しい、体に触れたいと思う。押し倒して、誰にでも優しくほほえむ顔を崩したい。自分だけを見てほしい。
そんな想いは早く消えてほしいと思っていたし、何度も忘れようとした。幼い自分ではコントロールできなかったが、下らない想いを心の奥底へ追いやって、たまに思い出しては諦める。そういう思考を覚えた。
歳を重ね、感情を制御できるようになってからは、鳳を組み敷く夢を見ることはないと思っていたのに。またあの薄汚れた感情を思い出してしまった。せめて夢でならという願いも、夢の中の鳳にあっさりと否定される。なんてやりどころのない感情なのだろう。自分が抱いている気持ちの結末はもうわかっている。
そんなことをぼんやりと考えているうちに、潮が引くように目が覚めた。重たいまぶたを開けると、見慣れた景色がはっきりと目に入る。なぜ今ここにいるのか、記憶と合致しない。重い体をゆっくり持ち上げると、視界に入ったのは見慣れた友人の背中だった。昨日どうやって部屋までたどり着いたのか、なにも記憶は残っていないが、予測が立ち、血の気が引く。小さな物音に反応して、目の前の友人はむくりと上半身を起こした。
「あ、日吉。起きた?」
鳳も寝起きのようで、ふやけた声で話しかけた。服もそのままで、フローリングに横たわって寝ていたようだった。せめて客用の布団を敷いて寝ればよかったものを。だが、俺からそんなことを言う権利はない。
「悪かった……」
俺はすかさず謝った。昨日は鳳とふたりで食事をしていた。酒が弱いわけではないし、量を飲むのを好んでいるわけでもない。ただ、昨日は疲れていて、いつも以上にペースが早かった。酔いつぶれた俺を介抱して、部屋まで届けてくれたのだろう。今回のことは自分が悪いとしか言いようがない。寝起きの鳳は目をこすって、こちらを見た。
「おはよう。昨日のこと、どこまで覚えてる?」
鳳は俺を試すかのように、笑顔で言った。謝る俺を見るのが珍しいのか、楽しんでるぐらいの口調だった。
「店で話してるところ、宍戸さんの話までは……」
「やっぱり! 寝ちゃったんだね。本当にぐっすり寝てた。まあ部屋にたどり着くまで、ちょっと大変だったかな」
鳳は面白がるように言った。相手が悪くとも、責めるような言いかたをしないやつだ。そういうところは鳳の甘い気質だと思うが、今はその優しさすら痛かった。
「すまなかった……」
「いいんだ。日吉、疲れてたんだろ? そもそも俺が誘ったんだから……。いろいろ話を聞いてもらったし。日吉は結構お酒好きなんだな。知らなかった。それならさ、次は俺の家の近くのお店に行こう。フレンチレストランには、美味しいワインがあるし、そこならもし寝ちゃっても、俺の家に泊められる。俺の母さんも姉さんも日吉に会いたがってたから、ちょうどいいと思うんだ」
鳳はこの気まずさを埋めるように話した。俺は気をつかわれるのがつらく、途中で言葉をさえぎろうとしたができなかった。きっと鳳は何度も謝られるのが、好きではないのだと思う。もう謝っても仕方がない。俺は黙って鳳の言葉が終わるのを待った。
「だから、またご飯行こう。会っていろいろ話したいよ」
「……そうかよ」
俺があいまいな返事をすると、鳳はにっこりと笑って話を終わらせた。
「体調は悪くない?」
「ああ」
「そっか、よかった。今日はゆっくり休んでなよ。俺はもう帰るから」
鳳は立ち上がって冷蔵庫からペットボトルを取り出し、俺に水を差し出した。そして、荷物を手に取り、「またね」と言って、俺の部屋から立ち去った。その何気ない気づかいすら愛らしく、俺の心をさらに締めつけた。
扉が閉まる空虚な音が、部屋に響く。鳳が部屋からいなくなり、取り残されたようなさみしさが残る。俺はたまらなくなって、大きなため息をついて、ベッドに横たわった。寝込むほどではないが、頭が内側から押されるように痛む。本当は気分も悪かった。これは二日酔いだ。しかし、酔いつぶれて送られた事実に気が重くなる。鳳の前で、そんな姿を晒したくなかった。
昨日のことをなぞるように思い出す。今は大学部の長い夏休み。ゼミ合宿に参加していた俺は、宿で課題に追われる日々を過ごしていた。ようやく合宿から解放されて、打ち上げの飲み会をなんとか断わり、だるい体を引きずって電車に乗ろうとする矢先、連絡が入った。「お久しぶり。元気? 今日は暑いな」と定型文のような挨拶からはじまるメッセージ。最後に「今日会えない?」と誘いの文章がつづられていた。他のやつだったら、見ないふりをしてスマホを閉じたかもしれない。しかし、このメッセージの送信者を俺は放っておけない。送信者は鳳長太郎。俺に、こんなまどろっこしい文章を送る相手は鳳しかいない。俺は自分自身に大きく舌打ちをした。「夜なら会える」と一言だけ返信をして、身支度をするために急いで家へ戻った。
待ち合わせ場所で鳳と落ち合い、顔を見た瞬間、俺を呼び出した理由がすぐわかった。積み重ねた年月というのは、また非情なものだ。また誰かと付き合って、振られたのか。いつもならこちらから聞くことはないし、もともと恋愛話が苦手な鳳からも話題を持ちかけない。昨日もそのつもりだった。けれど、鳳のしなびた顔を見ていらだちが募り、思わず言葉が出た。鳳はなぜわかったのかと言いたげな顔だった。どこまでも鈍感なやつだ。傷つけるかもしれないと思ったが、もう止まらなかった。俺が話し終えると、泣きそうになる鳳が、そっと思いの丈をつぶやいた。思っていることの検討はついていたが、それを俺に打ち明けられても仕方ない。俺にはどうにもできないことだ。長い間側にいたのに。今でも、鳳を好きだというのに。
鳳を好きになったのが、いつだったかはわからない。だが、自覚した時は記憶にある。
中等部の入学式を終えた昼下がり、サイズの合わない基準服を羽織り、真新しいかばんを持ち、ふたりで帰路についていた。「入学式、緊張したねえ」と鳳がいつものように隣を歩きながら話してくる。俺は相変わらず能天気なやつだと思いながら、顔を合わせずうなずくだけだった。
いつもの分かれ道で別れを告げると、鳳が後ろから「日吉!」と大きな声で俺を呼んだ。いつもまろやかな声色で「日吉くん」と呼んでいたものとは違う、力強い声だった。声に導かれて後ろを振り向いた。
「また明日ね!」
鳳は住宅街に響き渡るくらいの声で叫んだ。ぶかぶかの袖に包まれた腕を伸ばして、大きく手を振っていた。風に舞う桜の花びらが、ふわふわした銀色の髪にひらりと落ちた。たったそれだけの光景。けれど、俺だけにまっすぐ視線を向ける鳳から目が離せなくなった。いつだって幼かった笑顔が、大人びて見えた。
今まで当たり前にあったものが、変わっていく一瞬の光景だった。それは決してとどめてはおけない清らかさをまとっていた。
鳳が背中を向けると、感じたことのない気持ちがあふれ出す。明かりが灯ったように、胸が熱くなり、締めつけられる。その時俺は自覚した。日常の中から見つけた感情。恋なんて、そんなものなんだろう。
同時に、背中を押され崖から突き落とされたような気分になった。この気持ちが叶わないものだと、隣にいるからこそ知っていた。幼稚舎の頃、たまにふたりで図書室へ足を運ぶことがあった。姉さんもこの本好きなんだ、と語る笑顔は幸せに満ちていた。鳳がどんな環境に囲まれて育ち、なにを望んでいるのかは痛いほどよくわかっている。
鳳は誰からも好かれるし、よく告白される。誰彼と手当たり次第というわけでないが、年に一度は告白を受けている様子だった。付き合いはじめると、鳳は向き合おうと努力する。しかし、しばらくするとうまくいかなくなって顔に暗雲が立ち込める。ふとした瞬間に普段はしない、静かに自分を責めるような表情をする。いつのまにか関係が終わると、いつもの柔らかい顔つきに戻る。その繰り返しだった。鳳の想いとは裏腹に、誰と付き合っても幸福はいつも手に入らない。
なにかをつかもうと付き合う鳳は、いつもつらそうに迷っていた。その理由は、鳳の性格を考えれば理由はすぐにわかる。誰にでも優しい鳳は、誰のことも好きにならない。たったひとりの相手を決めるなんて、そんなことはできない。穏やかで寛容な笑顔は誰にでも向けられる生温いもので、誠実な優しさは育ちからくる自然なもの。それがいつしか自分だけを求める切望のまなざしにはならないのだと、鳳と付き合う人間は感づいてしまうのだろう。優しさが人を傷つける、なんて一生気がつかないやつだ。
別に鳳が、誰とどうなってもよかった。俺の気持ちは、鳳には関係ないものだ。それならば、鳳には笑って、幸せに過ごしてほしかった。俺の気持ちが消えてしまうくらい、まっすぐにただひとりを好きと言ってほしかった。しかし、鳳がそんなことを言うことはなかった。
何度かっさらってやろうと思っただろうか。自分とどうならなくてもいい。せめて鳳が笑っていられる道へ導いてやりたかった。でもそんな場所へ連れていけないことは自分がよくわかっていた。俺はただ見ることしかできない存在だ。
それに、そういった感情ばかりを抱いてきたわけではない。それまでも幼稚舎からの幼馴染で、同じテニス部で頂点を目指す仲間だった。切磋琢磨しながらお互いを高め合い、時にはくだらない話もする友人。何日も引きずる大きな喧嘩もした。そんな中でも、たまに温かく、憎たらしい感情があらわれては消える。
鳳と俺はどういう間柄なんだろうかと、ふと頭によぎる。同級生でテニス部の仲間でもあった。親友……とは少し違う気がする。気づけば側にいる幼馴染。そんなところだろう。そんな鳳に、欲を持った感情を向けていることには、罪悪感に駆られる。だが、ずっと悟られない自信があった。鳳は鈍感で、疑うことをしないから。
大学部に進学すると今まで隣にいた鳳とは、距離が生まれた。同じ氷帝に進学したが、俺は経営学部、鳳は音楽部。棟が違うので、すれ違うこともなくなった。会わなくなれば、きっと忘れられる。ようやくやりどころのない感情を手放せると思った。俺は学部や家のことなど、大学生活を忙しく過ごした。
それでも、鳳はたまに俺に連絡を寄越した。俺に会って話したい、と。旧交を大事にする性分だから、先輩や後輩にも会ってるのだろう。会えば今まで通り人懐っこい笑顔でたわいのない話をしてくる。日吉は最近どうなの? と俺のことを気にかける。俺は幼馴染という立場を使って、今でも鳳の近くにいる。
翌日に鳳から連絡が来た。「体調は大丈夫? またご飯に行こう」という内容だった。相変わらず他人を優先してばかりで、まめなやつだ。鳳の優しさが向けられる喜びと心が締めつけられるいらだちが入り交じる。「もうよくなった。すまなかった。またな」と手早く打って返信をした。すると、すかさず既読になり、鳳が愛用している犬のスタンプが送られてくる。いつも通りのやりとりだった。今度会うときには鳳が言っていたフレンチレストランに連れていき、奢ってやろうと思った。
けれど、その機会は訪れなかった。俺が酔いつぶれた翌日のやり取り以来、鳳から連絡がこなくなった。俺も毎日鳳のことを考えているわけではない。大学の課題と自主勉強、実家の手伝いに追われて、鳳を想うことが少なくなった。鳳へのやりどころのない感情は次第に消えていく。距離が生まれ、時間がたつことがこんなに救いになるとは思わなかった。次に会う時は、元チームメイトの幼馴染として落ち着いて話ができるだろう。もちろん俺から連絡することはしない。また苦しい恋心を思い出すことはしたくない。鳳がまた、友人として俺を必要としたときに会ってやればいい。
あの夏の夜から時は過ぎ、年を超え、桜の季節の一歩手前頃、テニス部元チームメイトの有志での集まりがあった。日頃から慕っている先輩たちと会える機会とあらば、鳳は喜んでくるだろう。久々に顔が見られると思ったが、意外なことに鳳の姿はなかった。
「長太郎のやつ、来ると思って最初に声かけて、何度も日程調整したんだけどよ。ピアノの練習が、家族の予定が、とか言って来ねえんだよ」
集まりを取り仕切ってくれた宍戸さんが二杯目の生ビールを飲みながら、不満そうにつぶやいた。跡部さんと樺地こそ海外にいて来なかったが、大抵の元レギュラーは顔を出しているというのに。鳳はなにをしているんだ。
「ふ〜ん、音楽部って忙しいんだな」
「実家もバタバタしとるんやろ。そういうときは人にあんま会いとうなくなるから、そっとしてやりや」
向日さんはさっぱりした口調でつまみを口に入れながら話した。宍戸さんの短い話から鳳の事情をくみ取り気づかうのは、視野の広い忍足さんらしい。
「そりゃそうだけどよ……。別にふたりで飯行くときは普通なんだぜ。若はなんか知んねえか?」
つまみの冷奴に箸をかけようとした時、急に俺に話題がふっかけられた。不意打ちだ。
「……宍戸さんが知らなくて、俺が知るわけないでしょう」
俺は本心を簡潔に答え、冷奴を口にした。ここ最近は全く連絡してないし、鳳が慕ってやまない先輩以上のことを知るわけがない。
「えっひよC~も知らないの? 仲良しなのに。喧嘩でもした?」
壁に寄りかかってて寝ているかと思った芥川先輩が勢いよく起き上がり、相変わらずの話しかたで聞いてきた。先輩たちの視線が俺に集まる。
「そんな……いつから俺が鳳とそんな仲良くなったんですか」
後輩が俺しかいないからって面白がって、なんなんだこの人たちは。俺は意地になって答えた。
「そんな照れないの。日吉もなんだかんだ鳳のこと気にかけてるでしょ? ずっと昔からの幼馴染だし」
滝さんが俺をさとすように柔らかい口調で問いかけた。いつも俺が鳳を気にかけていると思われていたのだろうか。
「……俺は鳳と最後に会ったの夏なんで、もう半年以上会っていないですよ」
「そんなにかよ?」
俺の正面にいる宍戸さんは手にしていたビールのジョッキを机に置いて、大きな声で叫んだ。そんなに驚くことを言ったつもりはなかった。
「はい」
「いや、若に会ってないなんて……この前長太郎に会ったとき、おまえのこと気にしてたぜ。学部の勉強を頑張ってて忙しそうって。長太郎もピアノの練習で忙しいみたいだけど、根詰めてねえか心配だから、連絡してやってくれよ」
宍戸さんはいつもなら威勢のいい形の眉を下げて、俺の目を見て言った。
「俺と会うときは空元気な顔するけどよ。同い年だから言えることもあんだろ」
そう頼まれたら、拒否もできない。俺はわかりましたよ、とため息と共に言った。ここの先輩は自主性を重んじる放任主義に見えて、とんでもなくお節介な人たちばかりだ。面倒くさくて仕方がない。だが、頼りになる人たちでもある。そんな先輩に自然と気にされるのが、鳳なのだ。先輩たちはよほど鳳に会いたかったのだろう。
集まりは終電を逃す前に解散となった。酒が体に回って足元がふらつくが、酔いつぶれて鳳に介抱されて以来、酒の失敗はしていない。終電一歩手前の、がらんと空いた電車に乗りながら、先輩の頼みを思い出す。もうすぐ日が変わるが、鳳に一言連絡でもしてやるか。今日の写真と共に、なにやってるんだ、と一言添えて。そうすれば、「行きたかったなあ、次は絶対行くよ」とか、そんな羨ましがる返事がくるだろう。
そう思いながら、アプリで鳳の名前を探す。最近連絡を取っていないものだから、すぐに名前が出てこない。仕方ないから、検索画面へ名前を打ち込む。鳳長太郎。俺のスマホには一発変換で打ち込める。しかし、何度検索してもその名前は見当たらない。おかしい。元テニス部のグループの中で探すと、見覚えのあるアイコンとフルネームが目に入った。なんだ、アカウントは変えていないのか。アイコンをタップすると、『友達に追加』というよそよそしい文章が出てくる。ずっと前から友人ではあるのに、改めてアプリで友人に追加しないと連絡もとれないなんて。
スマホの画面を押そうとしたその時、俺の頭に、あの夏の日の出来事が頭に浮かんでいた。きっと酒のせいでふわついている状態が、あの日と今日とで似ているからだ。急な鳳からの誘い、ふたりで行った和食屋、鳳が恋人と別れた話、先輩の近況。明確な記憶はいったん途切れる。その次に思い出せるのは、あのひどい夢。最近は忘れていたのに、薄汚れた感情がまた胸をよぎる。
そう振り返っていると、あの夢が妙にリアルであったことに気がつく。中等部の頃に見た遠い記憶の夢よりも、鳳の姿がはっきりと思い出せる。服装も過ごした日と同じ。俺の下で組み敷かれている鳳。俺は顔を近づけ、何度も口づけを交わす。体に触れようとした時、鳳は拒絶の意志を持って俺の肩に手を当てる。恐怖に濡れた瞳。酔っていて記憶が途切れている日の中で、夢の内容は、はっきりと思い出すことができる。俺の指先は震え、スマホが手からすり抜ける。電車の走行音に、地面に機械の落ちる音が重なる。その音と同時に手のひらには熱がにじむ。これは機械の名残ではない。まるで鳳のほほに触れたかのような感触と温度がよみがえる。
──あれは、本当に夢だったのだろうか?
俺の頭にひとつの疑問が浮かんだ。あの日以来連絡をせず、俺が顔を出すであろう集まりを避け、連絡先も消す。もしあれが、夢ではなく事実だとしたら。ずっと悟られないと確信のあった感情をあの夜にぶつけてしまっていたら。恐ろしいことに、辻褄が合う気がした。
幼馴染として鳳の隣にいられるだけで、友人としてたまに顔を合わせて会話ができるだけでよかった。それ以上の望みはないはずだった。けれど、その立場すら自分の手で壊してしまった。純真であどけない鳳を、俺の奥底にあった欲で傷つけた。あの日、鳳は俺に頼って連絡をよこしたのに、あんな形で裏切ってしまった。
鳳は俺の連絡先を消した。関わりを閉ざしたということだ。もう取り返しがつかないのだろう。俺の行為はあまりに卑劣で、今でも鳳を絶望に追いやっている。それから救ってやれることはできない。俺自身が引き起こしたことだから。あの夜、鳳が俺の肩を押し返した拒絶の意志は、きっと行為へのものだけではない。俺自身への拒絶でもあったのだろう。
そう考えながら、俺は落としたスマホを拾い上げる。ドアの閉まる音が車内に響く。電車は俺の住んでいる駅を通り過ぎた。もう、どこまでも行ってしまおうか。そんな自暴自棄な思考が浮かんだ。
その日から俺の頭には取り返しがつかない悔いが取りついて離れなかった。