No.33

●2024.5.17

ミハエル少年の願いについてずっと考えています。#ミハアス

ふたりは恋愛関係ではあるけれど、それだけで繋がっているのではないというのがとても強く、そして純な関係だなと思います。
ふたりの願いはそれぞれ「アストリットの脚が(治りますように)」「ミハエルがタイブレークで全部勝てますように」だけれど、どちらも恋愛の話をしていなくて、「(私が隣にいなくとも)あなたが生きていけますように」という話をしている。だから、ミハエル少年が蹄鉄を投げる行為は、どこか力強い生のエネルギーを感じる。
会えなくとも相手の生を祈り続ける3年を思うと、胸がいっぱいになります。

あと、ミハエル少年は蹄鉄を投げることで誰に願いを叶えてもらおうとしていたんだろう?
329話の中では願う主体が語られず、願う行為に重点を置かけるのは、日本的な表現だなと思いました。
あの岩場か周辺スポットに神様が宿っていて……みたいな感じなのかな。蹄鉄投げる行為自体が、なにか崇高な行為として考えられているのか。
もしくは、彼等は幼いながらも「神様は何もしてくれはしない」と思っていたのかもしれない。そう思うと少し切ない。

なんにせよ、願いを叶えるために誰かに跪くのではなく、「蹄鉄を投げる」という行為を選んだのは、自身の肉体への信頼も感じる。蹄鉄を投げることは自分自身のけじめでもあるだろうし。テニスで勝てない自分、つまりプロになる見込みがない自分がアストリットの脚を治すために今できる行動をしている。伸びやかな体をがむしゃらに使う姿に、若さだとか、がむしゃらさがある。


「ミハエル・ビスマルクの願いの主体について〜彼はなにに願いを捧げていたのか〜」という論文が読みたい〜
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